「行商美術」という見世物〜驚愕を旨とする特異な商い物〜
事務局(画家) 美濃瓢吾
不思議な響き
昨年から、何人かの仲間たちで「行商美術」なる展覧を東京以外の場所でやっている。ちょっとはばかるが、展覧をするにあたり、口上を一席打(ぶ)った。紙面が尽きるまえに述べさせていただくと、「『行商美術』という呼称は、本来美の徘徊をめざすブリキ男爵秋山祐徳太子氏による自作品群への命名で、我々はこのお品書きを素直に受けとめ、行商なるアキナイに美術なる醜名(しこな)をつけ全国巡業を思い立ったわけであります。わが先人達の験(ため)しに習い、いまや日本風景の残像となりつつある地名を手引きとし、藪から棒に始めます。とはいえ、その字の示すごとく、大雨、炎天、風雪をものとせず商店、旅館、寺社、温泉、離島……すべてよし、津々浦々で展示即売するものとします」ということで放題なことを申し上げてしまったが、初めて行商美術という語句を耳にしたときからこの四文字には不思議な響きがあった。
すでに三朝温泉を皮切りに三島、刈谷、新潟、大宮と西へ東へとりとめもなく経巡ってきた。けっして先を急ぐ旅でもない。救いようのない巡業かもしれない。芸術などという気負いもない。しかし、当然ながら自作に固執し続けなければならない。気の遠くなるような話だが、ただひたすら自前の作品を売ることに徹する。美術は立派な商いだと言う、それもよし。が、ここは行商が美術を育(はぐく)むところに醍醐味がある。
私がかねがね考えるのは、美術なる特異な商い物が強要するひとつは驚愕であって、平たく言えば「へえー」とか「これ何よ、いやだ気持悪い」とざわめく、言わばヘンナモノだということだ。しかしヘンナモノに見られるくらい痛快なこともない。この商い物が別世界の人たちの目に触れる。そこに行商美術たる所以もあり、これを見世物と呼べば見世物だろう。「願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と柳田国男が息巻くならば、次は平地人たちの出番である。美術という得体が知れない無言の造形物を山人にいや平地人から他の平地人へと披瀝する行商美術、私はあえて彼らを「行商美術の怪人たち」と名付けたい。
美の徘徊
イメージばかりが先走ってしまったが、もちろん行商といえども、宅急便という現代の流通革命をフルに利用する。真昼の鳥取砂丘、夜の東名高速、冬の日本海、腹に動物マークのトラック便が全国を走破している。しかし、抜けみちはまだある。文明の利器を逆手に取れば、栄枯盛衰、都鄙(とひ)の区別なし、改造列島すべてが行商、徘徊の対象となる。そこへ一番厄介な代物、美術を投じる。
とにかくまだ行商美術なるものの確信はない。実体があるようでないこの行商美術、無用の用と言い切るわけにもいかない。先人達の験しに習うなどとはまだまだ先の話だ。ならばどうすべきか。つまるところ行商に出る。そしてそこで豪奢、貧弱、回廊、天幕……あらゆる空間に晒(さら)された行商美術のわななく声を聞く。
私はかつて秋山さんが命名した「行商美術」という写真にとった作品を再度眺めてみた。開け放たれたボストンバッグにブリキの皇帝たちが無造作に並べられている。すでにボストンバッグから這い出してきた男爵もいる。まるですべてがいまにも歩き出しそうな姿で立っている。いまにして思えばこの作品に行商美術の正体を垣間見る思いがしてならない。まずブリキありき、そしてブリキはブリキ人となり歩き出す。その隊列のあとを怪人らしき人影が迫いかける。それはなんともさわやかで、実にわかりやすい形式にかなった美の徘徊である。
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