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うえの たかし 絵画展


ぞう列車がやってくる

21世紀へ、夢と希望をのせて


東山動物園ぞう列車50周年記念碑原画(うえのたかし作)

"たべものがない"戦後の日本、名古屋の東山動物園で生き残った
2頭のぞうに日本全国の子供たちがぞう列車に乗って会いにきた。
苦しい時代に愛と希望を育てた感動あふれるエピソード

1999年8月7日(土)〜23日(月)


ぞう列車がやってくる、炎の記憶(ハイビジョン手作りソフトフェスト97グランプリ受賞作品)をはじめ作者の幼ない頃の戦争体験や母子の愛情をとおして、生命と平和の尊とさを子供たちへ伝える21世紀のメッセージ


「ぞうれっしゃが走って50周年記念」モニュメントについて

  

サーカスにいたことのある象のマカニーとエルドが曲芸をするのを、私は子どものときに、東山動物園でみたことがあります。でも、なぜ、二匹の象が戦争を生き残ったのかは知りませんでした。このモニュメント(石碑)を制作することになって、初めてその事情を知りました。
 
五才の誕生日を迎えるまえ、1945年79日の夜に、岐阜空襲を体験した私には戦争がどんなことか分かります。むちゃくちゃに人が殺され、住む家が焼かれて、食べ物がなくなってしまいます。最近のユーゴの戦争を見れば分かります。
そんな時に、大きな体でたくさん食べる象を飼うのはとても難しいことです。東山動物園でも多くの動物が殺されました。象のキーコとアドンは食べ物がなくて死んだそうです。
そのころの東山動物園の園長さんが職員の皆さんと協力して、軍隊や警察を説得しました。兵隊が住むようになった東山動物園で、軍馬を管理する獣医さんが、象の部屋の近くに置いた馬の餌を、象に食べさせても知らぬふりをしていたそうです。
そうしてマカニーとエルドは生き残ったのです。
四年前に名古屋市民ギャラリーで
80点ほどの作品を発表したのが契機となって、そのモニュメントを制作することになりました。
昨年の夏に、多くの子どもたちから素案の絵が集まって、それを参考にしてデザインしました。そこには、未来から来た子どものみなさんの希望があふれています。
それは、戦争なんかしないで、地球の子どもたちと、平和に生きていくことを望む
21世紀へのメッセージなのです。
それに関わる展覧会などの行事を、お知らせいたします。ことしの夏は、お子様を連れて、みなさまで出かけてくださることを、心からお願いいたします。

1999
年、夏 うえのたかし

 

うえのたかし作

「ぞうれっしゃが走って50周年記念」東山動物園モニュメント・除幕式
   
    
  725日(日)、1330分〜14
            名古屋市東山動物園(総合公園)にて(月曜休み)
        名古屋市千種区東山本町3−70(地下鉄・東山動物園から徒歩
3分)
TEL 052-782-2111
FAX 052-783-214 
 
写真 1949年 三重県津市のぞうれっしゃ一行(萩森量吉氏提供)


うえのたかし略歴

●1940年9月26日、岐阜市に生まれる。本名、上野義孝。
●1945年7月9日、4才10カ月の年令で岐阜空襲を体験する。
●少年期に東山動物園で象のマカニーとエルドが曲芸をするのを見たことがある。
●郷上で専業画家になることを23才で決意し、黒板会社の臨時工としてレタリング作業で生計を
維持しながら、絵画の研究を続ける。
●1966年に結婚し、二人の男児を育てる。
●1975年、岐阜市で「うえのたかし絵画展」を開き作品150点を発表する。以後、東海地方を中心に国内各地で70回を越える個展を開く。
●1976年、ベルリンで開かれた「インターグラフイック’76」への参加を機会に3度にわたってドイツを訪れる。以後、美術交流などで、オランダ、中国、ニユージーランド、オーストラリア、キユーバ、メキシコ、アメリカなどを訪れる。
●1977年、「うえのたかし版画友の会」を創設し水彩木版画の創造と普及をはかりながら、専業画家の道に踏み出す。
●1995年、名古屋市民ギャラリーで80点ほどの作品を発表する。それが契機となって、「ぞうれっしやが走って50周年記念」モニユメントの作者となる。
●水彩、アクリツク、木版画、日木画、水墨画、油絵などの技法を研究し、その混合技法などによる多様な手法で独自の作風を展開している。

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